2020-11-19 第203回国会 衆議院 本会議 第6号
文部科学大臣の時には「教育は国の基なり」との信念の下、全国の学校を視察し、ゆとり教育の見直しと自虐教育の是正に取り組みました。ゆとり教育は日教組やマスコミの反対の中でも見直すことができましたが、自虐教育の是正がかなわなかったことは今でも残念に思います。 国土交通大臣の就任時の「日教組は日本の教育の癌だ」という発言が問題視され、五日しか務まりませんでしたが、その思いは今も変わりません。
文部科学大臣の時には「教育は国の基なり」との信念の下、全国の学校を視察し、ゆとり教育の見直しと自虐教育の是正に取り組みました。ゆとり教育は日教組やマスコミの反対の中でも見直すことができましたが、自虐教育の是正がかなわなかったことは今でも残念に思います。 国土交通大臣の就任時の「日教組は日本の教育の癌だ」という発言が問題視され、五日しか務まりませんでしたが、その思いは今も変わりません。
私たちは、かつてゆとり教育というのも経験をしております。そのときの経験を踏まえて、いま一度、本当に最低限確保すべき学びの質と量について政府でも学校現場でも考えていただきたいと思いますけれども、いかがでしょうか。
やはり、いわゆるゆとり教育に対する社会的な批判と、国際学習調査のPISA調査で、読解力を含めて下がってきているのではないか、これはちゃんと授業時間を確保して授業をやっていないんじゃないか、こういう指摘があったんですが、しかし、その下限にしたことによるしわ寄せが、先ほど私も大臣に指摘をした、教員の働き方改革に結局犠牲を強いているんですよ。このことをやはり直視する必要があるのではないか。
○矢野政府参考人 当時、文部科学省はゆとり教育という言葉は使ったことはないんですが、いわゆるゆとり教育に対する御批判がかなり出ていた。それに対してしっかり文科省としても学力向上に努めていくというようなことで、例えば、当時の遠山大臣でございましたが、「学びのすすめ」等を公表した、そういった背景があったのではないかというふうに考えています。
カリキュラムの見直しは、かつてゆとり教育と言われて批判をされたことがありますけれども、この期間に養成された学生の学力はむしろ高いのではないかという研究もあります。ですので、ぜひちょっと長期的視野で取り組んでいただければ大変ありがたいと思います。 あと、高等教育関連で何点か通告しているんですが、ちょっと残り時間との関係もございまして、一点、科学研究の分野で質問したいと思います。基礎研究です。
それから次に、ゆとり教育という形で動いてきて、ゆとり教育で育った子供たちが今社会に出ているというようなことが世間でも言われました。そういう中で、今は、生きる力、自立、そこに今重点を置いております。そういう中で、必ず、私のこれは感想ですが、子供たちはそのようになっていくと思います。その中で今私が強調したのは、金銭、お金に対する教育というのはもっとやるべきだというように思っています。 以上です。
○本多参考人 ゆとり教育のことでありますけれども、それについて意識したことはございません。差はないというふうに思っております。
学校の教育者としてもずっと携わっていらっしゃった中で、先ほどの御説明の中では、生徒が非常に保護者に大切にされているとか、固執することがないとか、意見を余り言わないとか、そういうことがあったわけなんですが、今回法律が制定されますと、あと四年後ですか、平成三十四年に施行されるんですけれども、そういう状況の中で、この四年間で自覚のある成年に育て上げることができるのかどうかということの部分の中で、一つ、ゆとり教育
一九七〇年代の詰め込み教育から一九八〇年代のゆとり教育、そして、ゆとり教育を脱する脱ゆとり教育、そして今度は、二〇二〇年の教育改革。
○串田委員 今説明がありましたが、詰め込み教育というのがいろいろな弊害があってゆとり教育になったわけですけれども、また、このゆとり教育について、随分いろいろな批判といいますか問題点というものが指摘されたということなんですが、具体的にはどんな問題点というものが出てきたんでしょうか。
○串田委員 詰め込み教育ではなくて、自分で考えるというのは大事かなとは思うんですけれども、ゆとり教育を行うことによって学力が低下したというのは、結構世間的に言われているのかなと。
そこの理由がちょっとお話がなかったので、今回、ゆとり教育とか、ゆとり世代の最後の世代がこれからなっていくということで、そういう意味も含めまして逆に教育を受けていないゆとり世代なのかなとか、そこら辺で、要するに、教育を受ければ受けるほど子供になっていくというようなことの理由というものをちょっとお話しいただきたいと思うんですが。
まず、この働き方改革、これは、昔、ゆとり教育というのがありましたよね。
ゆとり教育は大失敗でありました。その目的は、知識の詰め込みを減らし、その分、考える力を伸ばそうとしたことにあったのでしょうが、結果的に、成果は出ず、むしろ観察力、洞察力が低下をしてしまいました。勉強がわからない子供たちが苦しんでいるから、全体の学習量を減らし、全員が百点をとれる学校にする、まことに短絡的で理念のない教育行政と言わざるを得ません。
かつて、ゆとり教育の中で、教師は指導者ではなく支援者だから、教え込みはいけないといった議論が横行し、それを扇動した文部科学省の官僚もおりました。ゆとり教育は、知識を機械的に一方的に覚えさせる詰め込み教育の改善策として打ち出されたものでありましたが、知識を教えることは教育にとって必要不可欠であって、知識なくして、生きる力も英知も知恵も育むことはできません。
今までずっとこのゆとり教育の中で日本の学力を支えてきたのは、少なくとも学習塾が大きな役割を果たしているというそういう現実があるのに、その現実を無視して教育再生実行会議では議論をされているんじゃないかというふうに受け取る、まさに道徳観に欠ける議論がされているというふうに私は受け取るわけですよ。これは私の受取ですよ。 大臣、どう思いますか。
ゆとり教育が見直されて、全国学力テストを小学校、中学校でやっていますよね。高校以上は義務教育じゃないからやっていないんだと思うんですけれども、そのデータの解析や対応策も、パンフレットなどをつくって、こういうやり方をしたらもっと学力が上がるんじゃないかというのは小中学校で配付されて、次の学力テストに備えて、平均点が低い学校ほど一生懸命力を入れてやっているわけです。
どうしても何かゆとり教育だとかいうと、いやいや、先生、ゆとりでこういうふうにあれしたら、これ必ず振り子というのは振れますからとか当時言っていた人の声を聞いて、私はこうやって国会で文科省の皆さんと触れていると、ああ漠としているなと。だから、漠とするというのは、ここの見せ方は漠としていても実は緻密なんだというのが伝わるような、そういう私は文科省であってもらいたいというのがあるんです。
しかし、残念ながら、個人の尊厳が利己主義や刹那主義に堕してしまう、ゆとり教育が緩み教育となってしまったり、教育の荒廃が叫ばれるようになり、十年前に第一次安倍政権において教育基本法を改正をさせていただきました。
ゆとりを入れたんだけれども、どうしても学力が落ちてきたので、ゆとり教育を転換してきた、こういう変遷をしていると思うんですね。
一つがゆとり教育、もう一つが緩み教育、もう一つが教育再生、こういうふうにこの三十年間を私なりに総括したいと思います。 やはり、受験戦争、受験地獄、そして受験だけが人生かと言われていた時代を振り返れば、生きる力ということに対して、総合的な学力が評価されてしかるべきだ、これがまず、ゆとり教育の一つの出発点でありました。 とはいいながら、私は、そこで教職員も戸惑ったと思うんですよね。
フランクフルト郊外のキンダーランドでは、モンテッソーリ、そしてヴァルドルフ教育、理論に基づいた教育をして、小中一貫校の中でゆとり教育をできるんですが、日本ではそれができていないんですね。 ですから、向こうのしつけ、ゆとり、職業教育に比べて、日本はその辺で大きく劣っているような気がするんですけれども、この辺の御見解をお尋ねしたいというふうに思います。
それで一つ、前から質問しようと思っていたんですが、ゆとり教育ということで、ゴールするときにみんなが手をつないでゴールするという、大分前の話だったと思いますが。そのときに私もいろんなところからインタビューを受けて、どう思いますかと。ばかやろうと、それこそどなったことを思い出しますが。逆に今度は、今は百メートルをどうやって走るかという、速く走れるかみたいな塾までできたという。
振り返ってみて、戦後、私は戦後の動乱期の経験はありませんけれども、外圧や内政の影響で経済が立ち行かなくなると、バブルがはじけたり、リーマン・ショックだとか、いろいろ経済が立ち行かなくなってくると、価値観を変えなければならないというふうに誰もが口をそろえて言って、それから、教育に問題があるというのが、バブルがはじけてからゆとり教育というのはスタートしているんだったと思います。
こうした教え手というのは、実は、学校の先生にはなかなかいないかもしれませんが、町にはたくさんいらっしゃるわけでありまして、こうしたことを、いっとき、ゆとり教育なんかでもうまくビルトインできればよかったんじゃないかと森元総理なんかもおっしゃっていただいたんです。 こうしたことを、まず、三カ年計画でどれだけ教材がちゃんとふえているのか。
ゆとり教育が見直され、教育改革が着実に進められていることを高く評価します。 しかし、占領政策から派生した自虐教育が七十年もの長きにわたっていまだに続いており、ゆがんだ教育がゆがんだ国家観を形作っています。第一次安倍内閣で改正された教育基本法では、国を愛する心という表現が使えず、国を愛する態度を養うとなっています。愛国心という言葉を使うことがはばかられるような国であってはなりません。